ながぐつ観察記(毎日新聞) 一覧

ニホンミツバチ


ニホンミツバチ  
ハチ目ミツバチ科
 我が家の庭では春一番にサクランボの花が咲く。暖地桜桃という品種で花はとても美しく結実が良い。今年の開花は例年より1週間ほど遅かった。
 この花が咲くとミツバチがやってくる。どのように察知するのかは知らないが必ずやって来る。ミツバチというと黄色と黒の縞模様を思い出すが、我が家に来るやつは黄色が穏やかでむしろ白色である。在来種のニホンミツバチだ。小さくてかわいらしい。
 サクランボの花にもぐり込むように体を突っ込んで蜜を吸う。おしべを掻き分け、ミツバチの体中が花粉だらけになる。花の中央にはめしべが突っ立っているのであるが、ミツバチが動き回るので花粉がどうしてもくっついてしまうのだ。このおかげでうちの庭のサクランボも首尾よく結実するということらしい。
 よく見ていると、めしべに爪先を引っ掛けて腕一本でぶら下がり、何やらせわしなく動いている。体にくっついた花粉を足でこそぎ集めて後ろ足の花粉袋に詰め込んでいるようだ。巣に持って帰って花粉団子として幼虫とかの餌にするつもりなのだ。
 夢中で蜜や花粉を集めている時は、めったに人を刺すことはない。だからミツバチに囲まれながら写真撮影しても平気である。僕のことなどまったく関心がないというということが観察していると良くわかる。
 全国の養蜂家が飼育しているのはセイヨウミツバチのイタリアンという品種がほとんどで、それは腹部がはっきりとした黄色である。外来のセイヨウミツバチに押され、ニホンミツバチも減少の一途をたどっていたが、近年は都市周辺で増加に転じているようである。
NPO法人コウノトリ市民研究所 
主任研究員 稲葉一明
4月22日掲載


ドクゼリ:改修で種子目覚めるか

ドクゼリ セリ科

 ドクゼリという植物がある。猛毒である。つい最近まで理科の教科書の指導書に「身近な毒草について」という項があって、ドクゼリが必ず載っていた。「セリと間違えて食べるな」ということだ。それを見るたびに、昔の文献をそのまま写すのはいい加減にしてほしいと思ったものだ。近畿では滋賀県を除くとドクゼリで事故が起きることはまずない。絶滅寸前なのだ。最優先で守らないといけない植物になっている。セリと間違えて食べている場合ではないのだ。
 ドクゼリとは別に、延命竹という名前もある。ドクゼリは地下茎が竹の根のようになっていて、セリと簡単に区別できるのだが、その根本の様子を縁起のよいものとして延命竹・万年竹などと呼び、水盤に浮かべて鑑賞するのだそうだ。毒として敬遠するどころか、縁起のよいものとして大切にしているのだ。見方一つで同じ植物がこれほど変わるのは面白い。
 さて、このドクゼリ、但馬では40年ほど前に玄武洞の近くに生えていたという記録がある。以来誰も見ていない。何年か前、希少種が集中的に生育する六方川と円山川の下流域でドクゼリを探した。絶対に見つけるぞといさんで探したが徒労に終わった。
 最近、昭和30年代の豊岡盆地の植物相を伝える唯一に近い標本を調べてみた。上坂規知郎氏が採られたものだ。この中にドクゼリもあった。なんと、円山川の下流域ではなく、出石中学校の横で採られていた。どうやら昭和30年代には、ドクゼリは、豊岡盆地のいたるところに当たり前に生えていた植物だったらしい。
 現在、円山川で大規模な改修工事が行われているが、この工事で土の中に眠るドクゼリの種子が目覚める可能性がある。ドクゼリのような湿地に生える植物の種子は土の中で長く眠ることができる。今から工事現場を見に行くのが楽しみだ。ドクゼリを見つけたら水盤に浮かべてコウノピアに展示したいと思っている。きっとよいことがあるだろう。
追記
 実は、私は自分では理科の教師だと思っているのですが、もう6年間も理科を教えていません。その最後の理科の授業をした頃には、指導書に確かにドクゼリが載っていました。その他にはドクウツギやノウルシなどがありましたが、ノウルシも絶滅危惧種です。

 ドクゼリは大きな植物なので上下2枚の標本になっていました。


ノスリ

馬糞鷹の汚名返上

ノスリ(タカ目タカ科)
 ノスリというタカがいる。トビより一回り小さく、羽根はトビより明らかに白いから、気をつけて見れば識別は容易である。但馬地方には越冬のために北から下りてくる冬鳥。河川敷の立ち木や田んぼの電柱に止まる姿をよく見かける。彼らの主食は野ネズミ。バッタなどの昆虫や小鳥も捕らえる。
 ノスリの名は、獲物を追って野を擦るように飛ぶからという説があるが疑わしい。漢字では「狂」の下に「鳥」と書いてノスリと読ます。北日本では馬糞鷹(まぐそだか)の異名もあるように、タカの中ではさげすんだ扱いを受けてきた。
 寒波の緩んだ週末の午後、池の隣りの田んぼがにぎやかだった。トビの群れが空を舞い、電線にはカラスが並んでカァカァ鳴いている。群れの視線は田んぼの一点に集中していて、そこには一羽の若いノスリの姿があった。
 接近して観察を続けると、ノスリがわしづかみにしている獲物は、40cmは下らない大きなコイであった。このコイは隣りの池からやってきたに違いないが、ノスリが魚を食べるとは知らなかった。逆に、ミサゴというタカは魚しか食べない。この池はミサゴの狩場になっていて、空から急降下しては魚を捕らえるのをよく見る。
 今回の場面は、最初にミサゴが池の中で捕まえたコイがあまりに大きく、運び切れずに田んぼに落としたものをノスリが横取りした。あるいは、トビとカラスが横取り合戦をしているところに、ノスリが割り込んできた。このように考えるのが自然だろうが、ひょっとしたらノスリ自身が池から掴み上げてきたことも否定はできない。
 他の鳥を寄せ付けず、口の周りを血に染めながらバリバリとコイに食らいつくノスリの眼光は、猛禽(もうきん)の威厳に満ちていた。
文と写真 NPO法人コウノトリ市民研究所・高橋 信
※2006年2月26日(日)掲載


ニホンザル


 人間と同じ霊長類であるニホンザル。但馬にはニホンザルの群(むれ)が二つある。一つは美方郡加美町小代区を中心に活動しているもの、もう一つは豊岡市城崎町を中心としているものである。以前はもっと沢山の群があるように思われていたが、最近の調査で但馬には二つだけであることが分かった。もっとも、母系を中心としたこれらの群のほかに、群を出たオスで離れザルと呼ばれるもの達もいる。
 さて、但馬のサルは悪い。行動範囲にある各集落を巡回し、農作物を荒らしながら生活をしている。サルは本来奥山で生活しているものであるが、過疎化や高齢化のために農地や集落を人間が制圧できなくなって来ている。人間によって追い払われる危険のなくなった人里は、農作物など食べ物が豊富で大変生活しやすい場所となってしまっている。
 先日、豊岡市城崎町のある集落に行ってみると、墓地の周辺にニホンザルが20頭ほど出て来ていた。久しぶりの晴天で、サルたちは日向ぼっこをしたり、毛づくろい(グルーミング)をしたりしてくつろいでいる。大人も子供も仲良く遊んでいる。なかなか微笑ましい光景である。しかし、そのうちに植えてある柚子をおいしそうに食べ始めた。よく見ると、沢山食い散らかした跡がある。車庫の上や人家の屋根に上るものまでいる。まったく我が物顔である。畑は雪の下に埋まっているため農作物を荒らすところは見られなかったが、サルの被害のためにまともには作ることができないらしい。
サルの撃退法は、追い払いにより居心地を悪くすることで人里への執着をなくし、奥山に帰らせることだそうだ。人間が何もせずに受け入れていると、どんどんエスカレートして悪いサルになって行く。城崎のサルは僕が20mほどの距離で見ていても平気である。厳しい追い払いを受けていないのか、人をまったく恐れていない。
 兵庫県下のニホンザルの群れは10を超えていない。害獣であるが希少種でもある。
NPO法人 コウノトリ市民研究所
主任研究員 稲葉一明
2月12日掲載


似たもの同士?母と父

ハハコグサ キク科

      ハハコグサ

      チチコグサ
      
  お正月の贅沢な食事に疲れたお腹には、七草がゆがなかなか優しい。
 今年は大雪なので七草を取るのは大変だっただろうと思う。正直に言うと、私はこれ
まで、好物であるセリは単品で採ってきて食べたことがあるが、七草をそろえたことは
ない。
 にもかかわらず、七草がゆをいただけているのは、スーパーに並んでいる七草セット
を買ってくるからである。
 もう何年前になるか忘れたが、家人が七草セットを買ってきた。たまたま見てみると
どうも様子がおかしい。
 七草の中にオギョウという植物がある。これは今で言うハハコグサのことなのだが、
このハハコグサが見つからない。ハハコグサであるべきものがどうみてもチチコグサな
のだ。
 ハハコグサとチチコグサは、「母と父」というぐらいだから似ても似つかぬというよ
うなものではない。チチコグサには毒はないはず。それに、ハハコグサにしたところで
、おいしいというほどのものではない。
 ということで、チチコグサはそのまま七草がゆになった。
 気づいてしまった以上報告しないといけない気がして、買ってきたスーパーに電話を
した。「ハハコグサがチチコグサになっていますよ」と。しかし担当者には、それが正
しいのかどうか分からない。「生産者に問い合わせる」ということで電話は切れた。
 しばらくしてかかってきた電話によると、我が家で食べた七草セットは四国のある県で作ら
れたものだった。
 ハハコグサを「チチコグサ」のように呼ぶ地方はたくさんある。例えば但馬でも、旧
美方町では「チチコ」だ。しかし、チチコグサを「ハハコグサ」と呼ぶ地方は知られて
いない。
 あれ以来、野菜売り場に行くと、七草セットが気になるお正月である。
(文と写真 コウノトリ市民研究所 菅村 定昌)
※2006/1/29(日)掲載


コハクチョウ

冬季湛水田が鳥を呼ぶ

コハクチョウ(カモ目カモ科)
 コウノトリ野生復帰の受け皿として、豊岡盆地の田んぼが果す役割は大きい。冬の田んぼに水を張る「冬季湛水田」はコウノトリの餌場確保という名目と共に、田んぼの自然環境回復に大きな効果が期されている。
 晩秋の豊岡盆地上空は、西の越冬地に向かうコハクチョウやマガンの移動ルートにあたる。毎年、休憩のために地上に降りる少数を観察するが、冬季湛水が本格化した今年の状況は明らかな変化あった。この2種の地上での観察数が格段に増えたのである。
 特にコハクチョウは、明らかに湛水田目当てに舞い降りており、今までは円山川に浮かぶ少数を観していた事情と大きく異なる。
 私自身、国府平野の湛水田では2度に渡り延べ4羽のコハクチョウを観察したし、六方田んぼの湛水田では一度に14羽のコハクチョウが羽を休めた報告もあった。
 大寒波が襲った先月中旬、六方田んぼ上空を南西に飛び去るコハクチョウの群れを見上げた。その数およそ20羽。渡りの時期としては遅いが、鳥たちはまだ動いていることを実感させられた。
 方向から見てきっと国府平野の湛水田に降りただろうと思った。吹雪の中、現地に行ってみると予想通りだった。3度目の観察となる今回の群れは22羽で、色の黒い幼鳥が7羽混じっていた。
 居眠りするもの、羽繕いするもの、シャーベット状の水にくちばしを入れて落穂を食べるもの、それぞれがひとときの旅の疲れを癒している。やがて一斉に飛び立ち、コォーコォーと鳴き交わしながら雪空を旋回した後、北方向に姿を消した。
 コウノトリが空を舞う風景は特別美しい。水を張った田んぼにコハクチョウがいる風景もまた良い。コウノトリをきっかけに、たくさんの鳥たちが集まってくる豊岡盆地であればよいと願っている。
(文と写真 コウノトリ市民研究所 高橋 信)
※2006/1/21(土)掲載


孤高のコウノトリ


 9月24日に5羽の飼育コウノトリが放鳥された。3年前の8月5日から豊岡盆地に定着している野生コウノトリの八五郎も、この放鳥コウノトリたちの存在を知ってか、最近は頻繁にコウノトリの郷公園へ来るようになった。しかし、一緒に仲良く行動するということはない。彼は野生コウノトリ、だから電波発信機などは背負ってないのである。
さて、今年の雪はいつになく早い。12月にこれだけ雪が積もるのは昭和59年豪雪の時以来か。普通の年なら一冬に一度来るか来ないかという寒波。12月18日午後3時、八五郎はどうしているのか気になり、彼のねぐらとする野上増殖センターに行ってみた。センターの前に設置されているビオトープ水田は雪で覆われ、わずかに水の流れのある部分のみ水面が露出している。そこでタシギという水鳥が一生懸命えさを探している。
雪が降りしきる中、八五郎は彼のお気に入りとするヒマラヤスギの枯木のてっぺんにじっとしていた。もう少し暖かそうなところもあるだろうに。首を縮めて、くちばしを胸にくっつけている。左脚は折り曲げて腹部に格納し、右脚一本で立っている。赤いはずの脚が雪で白くまだらになっている。足の指は雪に埋もれている。しもやけにならないのだろうか。時々少しだけ首を動かしている。じっとこちらを見ている。
雪が小降りになると、首をかしげて、格納していた左の足で頭の雪を掻き落とす。そして後頭部が自分の背中にくっつくぐらいにのけぞり、さらに首を伸ばして右から左へ体全体を旋回させクラッタリングを行なう。風雪の中で周囲に自分の生命を誇示している。野生コウノトリ八五郎。豊岡で4回目の冬を越す。孤高のコウノトリである。
NPO法人 コウノトリ市民研究所
主任研究員 稲葉一明
12月25日掲載


カワラハハコ

カワラハハコ キク科

 旧の赤崎橋があった頃、そこから丸石河原を眺めるのは楽しかった。季節を変えた写真がたくさん残っている。川が川らしい姿を見せる場所の一つだった。河原に降りるとそこには河原特有の様々な植物が生育し、その中にカワラハハコもあった。
 かつては多くの川にあったカワラハハコだが、兵庫県の太平洋側からは姿を消している。兵庫県ではもはや円山川水系にしか残っていないらしい。そんな中で、赤崎の丸石河原は、国土交通省の管轄内で最も見事な群落がある場所だった。このことは国土交通省にも伝えた。国土交通省にはすでに多自然型川作りの実績も多く、私はたとえ橋の付け替えがあってもここの群落は安泰であると信じていた。
 ところが、落とし穴があった。新赤崎橋は農道橋なので、農林水産省が関わる工事だったのだ。工事に際して生き物に対する配慮は全くないように見えた。丸石河原を重機が動き回って、微妙な地形の変化はなくなり、丸石河原の植物たちは壊滅した。さらに丸石河原の対岸に小規模な河畔林があったがこれもなくなった。
 私は赤崎の丸石河原にカワラハハコを再生させたいと思う。可能性はある。上流の養父市には見事な群落が残り、そこから下流にかけて点々と群落が残っており、種子の供給が期待できる。丸石河原が元に戻ればいいのだ。
 昨年の台風23号で川の環境はリセットされた。浅くなっていた淵は深く掘られ、石の河原はかつてない広さになった。私は赤崎の河原が元に戻っているに違いないと期待を込めて見に行った。まだカワラハハコが定住できるような微妙な起伏はできていなかったが、重機で踏み固められていた頃と違って、石が自然に転がっていた。少し人間が手助けしてやればきっとカワラハハコが再び花を咲かせるに違いないと思う。
追記
 掲載後すぐに養父市の方から電話があった。
 昔は広谷あたりでもたくさんあったのだが今では見かけないということだった。
 当時は「たかつか」という名前で呼んでおり、草餅に使ったのだそうだ。ヨモギよりもよほどよい草餅ができたと話されていた。
 ハハコグサを草餅に使うのは知っていたが、これは知らなかったのでうれしかった。『日本植物方言集成』八坂書房をみてみると新潟県で「かわらもちぐさ」というそのものズバリの名前があった。
 ちょっと気になったのは、この植物を押し花に使うそうで、市販されているというお話だった。上に書いたように、絶滅寸前の植物である。いろいろな工作は栽培したものを使って行ってほしいものだ。
 栽培は容易だと思う。円山川流域で栽培して、草餅を作ったり押し花を作ったりしても面白いと思う。


タゲリ

帰って来た六方田んぼのシンボル

タゲリ(チドリ目チドリ科)
 台風23号の大洪水で泥の海と化した六方田んぼ。今も耕作できない農地が残っているが、1年経って多くの田んぼは元気を取り戻した感がある。
 豊岡盆地には毎年10月の終わりに群れで飛来し、田んぼで虫を採りながら冬を越すタゲリ。冬の六方田んぼのシンボルとして、野鳥ファンには古くから愛されてきたチドリだ。このタゲリの姿を、昨冬はほとんど見ることができなかった。
 秋晴れの円山川堤防、上空を3羽のタゲリが北に向かって飛んだ。ひょっとして六方田んぼに下りているかも知れない。そう思いながら、最近になって水が張られた田んぼの一画に向かった。
 年間を通して水を張り休耕田をビオトープ化する試みが、豊岡盆地ではすでに始まっている。コウノトリの試験放鳥を受け、冬の田んぼに水を張る「冬季湛水田」も今年から本格的に行われる。六方田んぼでも大きな面積で水が張られ、秋以降の田んぼの風景が変わろうとしている。
 そんな湛水田に予想通りタゲリの群れを見つけた。2年ぶりに帰って来たタゲリの群れは、畦で眠っているもの、水浴びをするもの、しきりに餌を採っているもの、全部で18羽を数えた。アンテナのようにピンと立てた冠羽と、光によって微妙に光沢が変化する深緑の羽根が美しい。
 突然「ミュー」とネコのような鳴き声を上げたかと思うと、群れは一斉に舞い上がって北方向に飛んで行った。近くで飛ばしはじめたラジコン飛行機に驚いたのだ。田んぼを南北に貫く農道はひっきりなしに車が通過する。人の生活と隣り合いながらも、野生はしたたかにここで生きてゆく。放鳥コウノトリもきっとそうであってほしい。
文と写真 NPO法人コウノトリ市民研究所・高橋 信
※2005/11/13掲載


サンコタケ


腹菌類 スッポンタケ目 アカカゴタケ科 サンコタケ属
 現在は生物の世界を、 植物界、 動物界、 菌界、 原生生物界、 モネラ界の五界に分ける考え方が一般的であるらしい。モネラ界などと言われても何のことかわからないが、昔は、植物界、動物界、菌界の三界に分けていたようだ。こちらはまだ理解しやすい。注意してほしいのはキノコの属している菌界というのは、植物、動物と同格の大きな生物の一団ということだ。だから私たちは、動物や植物に興味を持つのと同じくらいキノコなどに興味を持つべきなのである。
 菌界に属するキノコの主流は坦子菌亜門の真正坦子菌綱に属しており、その中に腹菌亜綱という一団がある。面白い形のキノコが多い。
 サンコタケというキノコ。3本の腕がアーチ状になり頂部で接合している。腕は、時に4本、最大で6本になるという。腹菌亜綱スッポンタケ目アカカゴタケ科と言う分類も妙である。スッポンの首と頭のような形のキノコを親玉にして、かごを編んだような形のキノコを部隊長にしている。「サンコ」とは「三鈷」と書いて先端が三つに別れている金剛杵、密教で使われる仏具の一種だそうだ。それに形が似ているということである。
 山の中の土の上に白い卵のようなものが現れて、やがてそこからキノコが突き出てくる。3本の腕は黄色から紅色で、なかなか美しい。グレバと呼ばれる胞子を作る部分が付いて、それが黒く液化して、べとべとになって、悪臭を放ち、その匂いに引き寄せられたハエなどに胞子を運んでもらう。写真ではすでに虫たちに運ばれてしまったのか、グレバはほとんど見あたらない。サンコタケの目的は果たされたようだ。
 サンコタケとしては胞子をばら撒くことが大切であって、人間よって詳しく分類されたり、密教の仏具に例えた由緒ある名前を付けてもらうことなど、そんなことはどうでもいいのである。
NPO法人 コウノトリ市民研究所
主任研究員 稲葉一明
11月7日掲載


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