コウノトリの紹介
コウノトリのお話
コウノトリとは
コウノトリ目コウノトリ科 Oriental White Stork(ciconia boyciana)
体長約1.1メートル、体重4.5kg~5.5kg、両翼を広げると2mにもなる大型の鳥で、水田や湿地、河川などを好む水辺の鳥です。
外見は、ツル(タンチョウ)に似ていますが、生態的にはかなり違いがあり、サギやトキなどに近い仲間です。
食性は、完全な肉食で、魚、カエル、バッタなどを食べます。かなりの大食漢で成鳥1羽で1日500~600gの餌を食べます。
どこに何羽生息しているの?
コウノトリは、IUCN(国際自然保護連合)によって絶滅危惧種に指定されている国際的に希少な鳥です。
野生のコウノトリは現在、ロシアのアムール川中流域や中国の黒龍江省のなどに2,500~4,000羽が生息するのみとなっています。
コウノトリの生態
巣は、木の枝や藁などを組み合わせた直径1.5~2mくらいの巣を大きな木の上(アカマツが多かったようです)にかけます。繁殖の時期は、早春から初夏にかけて。
本来、コウノトリは渡り鳥で、繁殖地である極東地域(アムール川中流域)から、越冬地の中国東部(揚子江中流域)や韓国、台湾などの間を移動して暮らします。
日本でのコウノトリの歴史
かつて日本にも渡ってきたコウノトリは、国内に留まって繁殖する個体も多く、江戸時代(1868年以前)までは北海道以外全国各地に生息していました。日本で留鳥化した理由は、年間を通して餌が採れた事と、夏の暑さが厳しくなかったからではないかと考えられています。
しかし、明治以降の乱獲と生息環境の 悪化により、多くのコウノトリが次々と姿を消してしまいました。
豊岡盆地は国内最後の生息地となっていましたが、昭和46年(1971)を最後に日本の空から消滅してしまいました。
絶滅の原因1:
明治(1868年)以降、の乱獲。(食料・剥製)
絶滅の原因2:
営巣場所の消滅。(第二次世界大戦中に、コウノトリの営巣に適した、松の木が大量に伐採された。松の木の根から油を(松根油/しょうこんゆ)取るため。)また、戦争により人の心から、コウノトリを見守る余裕も消え失せていった。
絶滅の原因3:
高度経済成長による効率性、利便性の追求
(農業の近代化…乾田化、農 薬使用によりコウノトリの餌場が無くなってしまった。食を失い、コウ ノトリ自身も農薬に犯され、コウノトリは生活の場を失った。)
豊岡盆地とコウノトリ
豊岡盆地にはコウノトリに適した自然環境とコウ ノトリを大切に扱う風潮があったため、比較的乱獲されず国内最後の生息地として残りました。
1956年には国の特別天然記念物に指定され、市民と行政とが 一体となって本格的な保護活動を行いました。
しかし、個体数の減少をくい止めることはできず、1965年には残った野外個体を捕獲し人工飼育を開始しました。このとき個体数は、既に12羽にまで減っていました。
人工飼育下で残った個体も、老齢化と近親交配による遺伝子の劣化、体内の残留農薬などにより、繁殖は成功することがありませんでした。
1985年には、友好関係にあった旧ソ連(ロシア)のハバロフスク市から、元気によい6羽の若いコウノトリを譲り受けました。この中から2組がペアをつくり、1989年にようやく2羽の人工繁殖に成功しました。それ以後、毎年順調に繁殖が続いており、現在では95羽(2015年3月現在)を施設内で飼育しています。
2005年9月24日、コウノトリ野生復帰計画の最初の5羽が野外放鳥されました。野外コウノトリの自然繁殖も順調に進んでおり、2015年3月現在で72羽のコウノトリが、豊岡盆地を中心に生息しています。また、豊岡盆地を離れて全国各地に飛んで行くコウノトリもおり、今後の生息地拡大に期待が寄せられています。
※コウノトリについての詳しい情報は、兵庫県立コウノトリの郷公園のホームページをご覧ください