コウノトリってどんな鳥?

コウノトリ
コウノトリ目 コウノトリ科
英名:Oriental White Stork
学名:ciconia boyciana
体長1.1メートル、体重4.5kg~5.5kg、両翼を広げると2mにもなる大型の鳥で、水田や湿地、河川などを好む水辺の鳥です。
日本では、乱獲や農薬などの影響で1971年に野生から姿を消しました。その後繁殖事業が進められ、2005年に豊岡市で試験放鳥が開始されました。野外での繁殖も順調に進み、2025年現在は、国内で約500羽の野生個体が生息しています。
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コウノトリQ&A
野生絶滅と野生復帰
主に繁殖地のロシアと越冬地の中国を行き来する渡り鳥ですが、かつては日本にもよく飛来していました。そのまま国内にとどまり繁殖する個体も多く、江戸時代(1868年以前)までは本州や四国、九州など全国的に生息していました。
しかし、明治時代の乱獲や、昭和以降の過剰な農薬使用、営巣木の伐採により、個体数は急激に減少していきました。

絶滅の要因
- ・乱獲
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明治(1868年)以降、多くのコウノトリが乱獲されました。一部の地域では、「稲を踏み荒らす害鳥」という認識で銃による駆除も行われていました。
- ・農薬
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有機水銀を含む強い農薬の使用により、カエルや魚などが減少し、十分なエサを得られなくなりました。また、コウノトリ自身も水銀中毒により繁殖能力を失っていきました。
- ・伐採
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第二次世界大戦中に、松の木が大量に伐採され(油を取るため)、コウノトリの繁殖場所が失われていきました。
豊岡とコウノトリ
豊岡盆地には適した自然環境と、コウ ノトリを大切に扱う風潮があったため、国内最後の生息地として残りました。
1956年には国の特別天然記念物に指定され、市民と行政とが一体となって本格的な保護活動を行いました。
しかし、個体数の減少をくい止めることはできず、1965年には残った野外個体を捕獲し、人工飼育を開始しました。このとき野外の個体数は、既に12羽にまで減っていました。
人工飼育下で残った個体も、老齢化と近親交配による遺伝子の劣化、体内の残留農薬などにより、繁殖が成功することはありませんでした。

1971年に、最後の野生個体が保護され、日本の空からコウノトリが姿を消しました。
1985年には、友好関係にあった旧ソ連(ロシア)のハバロフスク市から、6羽の若いコウノトリを譲り受けました。この中から2組がペアをつくり、1989年にようやく人工繁殖に成功しました。それ以後、毎年順調に繁殖が続き、2002年にはコウノトリ郷公園での飼育個体数が100羽を超えました。

2005年9月24日、コウノトリ野生復帰計画の最初の5羽が豊岡で野外放鳥されました。その後、野外コウノトリの自然繁殖は順調に進み、初放鳥から20年経った2025年には、500羽を超える野外コウノトリが全国を自由飛んでいます。繁殖地も九州から東関東にかけ、全国に広がりつつあります。
※コウノトリについての詳しい情報は、
兵庫県立コウノトリの郷公園のホームページをご覧ください
人工巣塔で子育て
本来の営巣木である松が戦争中の伐採で失われたため、野生復帰後の野外コウノトリは人工巣塔で繁殖をしています。コウノトリは基本的には一夫一妻制であり、ほとんどのペアが一生添い遂げます。子育ても夫婦で協力して行います。

1~2月頃:巣作り
巣のメンテナンスが始まります。直径1.5mほどの巣の外側には木の枝が使われ、卵やヒナが暮らす内側には枯れ草などが敷かれています。

3~4月頃:抱卵
3~4個の卵を1日おきに産みます。すべての卵を産み終えた後、夫婦が交代で1か月間卵を温めます。

5~7月頃:子育て
孵化直後のヒナは羽毛も十分には生えていないため、親鳥が抱いて温めます。2週間ほどたつと白い羽毛に加え、黒い風切り羽も生え始めます。

孵化後1か月がたつと、体もかなり大きくなります。この時期のヒナは1日につき1kgのエサを食べます。親鳥は飲み込んで集めたエサを巣で吐き出し、ヒナに与えます。

孵化後2か月がたつと、ヒナは巣立ちを迎えます。巣立ち直前には巣の上でジャンプして飛ぶ練習をします。巣立った後もしばらくは親鳥と共に行動し、夏が終わるころには親離れをします。

巣立った後も、しばらくは親からエサをもらいます