ながぐつ観察記(毎日新聞), 連載コラム
コウノトリ(コウノトリ目 コウノトリ科)
野生コウノトリが豊岡に飛来して丸3年が経過した。このコウノトリはオスである。8月5日に来たのだからハチゴロウという愛称も定着してしまったようだ。
彼はコウノトリの野生復帰を進めるこの地域の人々に多くの示唆を与えてくれた。田んぼや河川敷にビオトープを作れば、そこに舞い降りて「こういう場所がよろしいのである。」と教えてくれる。最初の冬には独身の癖にひとりで巣を作って、「早く仲間を放鳥するように。」と強く催促した。最初はケージの屋根に巣を作り、どこにでも作るのだなあと関係者を驚かせたが、3回目には松ノ木の上に巣を掛け、「やはりアカマツの方がよろしい。」と里山の再生を促した。
彼は三江小学校のヒマラヤスギに止まって、授業を急きょコウノトリの観察に変更させ、地元の子供たちを大いに喜ばせた。子供たちが通学する横の田んぼで餌をついばみ、40年以上以前の風景を復活させた。また、市民研究所の行事で田んぼの学校などを行っていると、しばしば様子を見に上空を舞ってくれた。サービス精神が旺盛である。
さて、僕はもともとコウノトリなどには興味が無い人間であった。コウノトリよりもキノコやカニなどの方が重要である。しかし、最近コウノトリが好きになって来ている。あることがきっかけで、仕事でハチゴロウ追跡調査する機会に恵まれた。じっくりと見れば見るほど美しい鳥である。大空を舞う姿は雄大でしびれるものがある。僕は仕事が終了してからも休みの日には観察するようになった。
彼はとても頭が良く、観察者の顔を覚えている。5回目ぐらいになると、完全に僕の顔を覚えてくれた。この間などは、遠くからじっと見詰め、僕であることを確認すると軽く会釈をしてくれた。認めてもらえると嬉しいものである。
いよいよ9月24日に放鳥が行われる。豊岡に住む人たちも実際の野生コウノトリを見たことのある人はまだまだ少ないだろう。しかしこれからは豊岡の景色が変わっていくことに気がつくだろう。ふと見上げると大空をゆったりとコウノトリが舞っている。田んぼを見るとコウノトリが餌をついばんでいる。円山川の堤防を行けば、浅瀬にコウノトリがたたずんでいる。
コウノトリを好きな人がどんどん増えていけば良い。あちらも人間のことが嫌いではなさそうです。
NPO法人 コウノトリ市民研究所
主任研究員 稲葉一明
*********************************
昨年3月、『「美しい」が未来の原点』というタイトルで本コラムにハチゴロウを書いた。豊岡市民として長年ケージの中のコウノトリを見慣れているはずなのに、その美しさに気づかせてくれたのは野生のハチゴロウだった。
白き美しい鳥と一緒に暮らすこと。その無垢な喜びを胸に抱くことから、豊岡の街づくりは始まって行くのではなかろうか。豊岡の空を舞うコウノトリを見て、ひとりでも多くの人が「美しい」と感じてくれることを願っている。
高橋信
*********************************
八五郎の飛び回る場所が決まってしまって面白くない。だって、訪ねてきてくれないんだもの。私のところに来てくれたのは1度だけ。南の空を見ると高いところを白い鳥がくるくると回っている。鳥を見るのは素人だから自信がないが、じっと見ているうちにコウノトリと確信。八五郎は私の学校(八条小学校)の上を巡回してから、おもむろに妙楽寺の方に進路を変え、やがて鉄塔の上に止まった。高橋さんの職場の隣だ。きっと私達に挨拶に来たのだと思った。この時の写真は私の名刺に使われている。もちろん、フォトバイ高橋。
さて、私はどうしたか?職員室に降りて、全校放送をした。一緒に眺めていると子ども達は「前にも見たで」と言うし、家に帰ると母がうちの上にも来ていたと言うし、あの頃はよかったなあと思う。でもまあ、10月になれば、別のが来るのだろうなあと期待している。
菅村定昌
*********************************
僕にとって八五郎の姿は衝撃的だった。彼は空の向こうから
ゆっくりと僕のいる方へやってきた。これがコウノトリか!大きな翼を
いっぱいに広げて優雅に舞う姿に、僕は素直に感動した。
野生復帰に向けたさまざまな努力と試みの意味が、そのときすぐに理解できた。
「あんなふうに空を飛んでみたいなあ」「そうかい。空から見る豊岡はなかなか
住みよいよ。大きな川や田んぼもあるしね。でもどうして他の仲間は飛べないの?
早く一緒に暮らしたいのになあ。」八五郎のそんな思いに、僕は野生復帰へ
の思いをより強くしたのだった。
竹田正義
*********************************