菅村 定昌 一覧

日本生まれの白い花;キビシロタンポポ

キビシロタンポポ キク科

 多くの人はタンポポの花は黄色だと思っているが、タンポポは黄色に限らない。白もある。いや、九州や四国のようにタンポポは白だと思われていて、黄色いタンポポは珍しいと思われている場所もある。
 但馬にも白いタンポポは少なくない。出石から但東にかけて路肩が真っ白になっている場所があちこちにある。朝来市あたりにもそんなところは結構ある。
 日本には白い花をつけるタンポポが複数種類ある。一番多いのはシロバナタンポポで、但馬の白いタンポポもほとんどがそれである。
 「珍しいタンポポを見つけました。」「これは外国のタンポポですか?」などと問い合わせが時々あるが、シロバナタンポポは、珍しくないし、外国からやってきたタンポポでもない。正真正銘の日本のタンポポである。
 シロバナタンポポ以外の白いタンポポは、限られた場所にしか生育しないと言われていた。ところがそのうちの1種が兵庫県にもあるらしいことが分かってきた。そのタンポポはキビシロタンポポと呼ばれ、その名の通りキビ;吉備(岡山県)のタンポポだと思われていた。このタンポポを探し始めたのが1998年である。
 2004年に美方町でようやく1株を発見した。同じ年、おもしろ昆虫化石館の西川さんも温泉町で発見されていた。二人とも一度も実物を見たことがなく確信はなかったが、最終的には、専門家によるDNAの解析でキビシロタンポポと確定された。2005年には朝来市、香美町、新温泉町でも確認できた。
 調べてみて困ったことが分かった。咲き始めの頃のシロバナタンポポは、これまでキビシロタンポポのものとされていた特徴を備えていたのだ。両種を外見で区別することは難しい。なんか変な白いタンポポと感じたものを専門家に送ったが、シロバナタンポポと判定されたものがいくつもあった。DNAの分析ができず外見だけで勝負している私としてはなんとも悲しい現実である。
追記
 最初の写真は咲き始めの頃のシロバナタンポポ。舞狂橋のすくそばで撮影した。背は低いし、総苞片はぴったりと張り付いているし、総苞片に毛は多いし、花弁は黄色を帯びているし、・・・・と、もうキビシロタンポポと思える個体でした。専門家に送るとシロバナタンポポと判定されました。
 しかし、2005年に初めてこれだと思ったのが下の写真。雰囲気が違う。これだと思いましたね。以後、なんとなく分かるような気がした。朝来市で発見できたのはこの場所だけ。他の産地とかなり離れている。間の場所を調べないとと思いながら、2006年のシーズンが終わろうとしている。


ドクゼリ:改修で種子目覚めるか

ドクゼリ セリ科

 ドクゼリという植物がある。猛毒である。つい最近まで理科の教科書の指導書に「身近な毒草について」という項があって、ドクゼリが必ず載っていた。「セリと間違えて食べるな」ということだ。それを見るたびに、昔の文献をそのまま写すのはいい加減にしてほしいと思ったものだ。近畿では滋賀県を除くとドクゼリで事故が起きることはまずない。絶滅寸前なのだ。最優先で守らないといけない植物になっている。セリと間違えて食べている場合ではないのだ。
 ドクゼリとは別に、延命竹という名前もある。ドクゼリは地下茎が竹の根のようになっていて、セリと簡単に区別できるのだが、その根本の様子を縁起のよいものとして延命竹・万年竹などと呼び、水盤に浮かべて鑑賞するのだそうだ。毒として敬遠するどころか、縁起のよいものとして大切にしているのだ。見方一つで同じ植物がこれほど変わるのは面白い。
 さて、このドクゼリ、但馬では40年ほど前に玄武洞の近くに生えていたという記録がある。以来誰も見ていない。何年か前、希少種が集中的に生育する六方川と円山川の下流域でドクゼリを探した。絶対に見つけるぞといさんで探したが徒労に終わった。
 最近、昭和30年代の豊岡盆地の植物相を伝える唯一に近い標本を調べてみた。上坂規知郎氏が採られたものだ。この中にドクゼリもあった。なんと、円山川の下流域ではなく、出石中学校の横で採られていた。どうやら昭和30年代には、ドクゼリは、豊岡盆地のいたるところに当たり前に生えていた植物だったらしい。
 現在、円山川で大規模な改修工事が行われているが、この工事で土の中に眠るドクゼリの種子が目覚める可能性がある。ドクゼリのような湿地に生える植物の種子は土の中で長く眠ることができる。今から工事現場を見に行くのが楽しみだ。ドクゼリを見つけたら水盤に浮かべてコウノピアに展示したいと思っている。きっとよいことがあるだろう。
追記
 実は、私は自分では理科の教師だと思っているのですが、もう6年間も理科を教えていません。その最後の理科の授業をした頃には、指導書に確かにドクゼリが載っていました。その他にはドクウツギやノウルシなどがありましたが、ノウルシも絶滅危惧種です。

 ドクゼリは大きな植物なので上下2枚の標本になっていました。


似たもの同士?母と父

ハハコグサ キク科

      ハハコグサ

      チチコグサ
      
  お正月の贅沢な食事に疲れたお腹には、七草がゆがなかなか優しい。
 今年は大雪なので七草を取るのは大変だっただろうと思う。正直に言うと、私はこれ
まで、好物であるセリは単品で採ってきて食べたことがあるが、七草をそろえたことは
ない。
 にもかかわらず、七草がゆをいただけているのは、スーパーに並んでいる七草セット
を買ってくるからである。
 もう何年前になるか忘れたが、家人が七草セットを買ってきた。たまたま見てみると
どうも様子がおかしい。
 七草の中にオギョウという植物がある。これは今で言うハハコグサのことなのだが、
このハハコグサが見つからない。ハハコグサであるべきものがどうみてもチチコグサな
のだ。
 ハハコグサとチチコグサは、「母と父」というぐらいだから似ても似つかぬというよ
うなものではない。チチコグサには毒はないはず。それに、ハハコグサにしたところで
、おいしいというほどのものではない。
 ということで、チチコグサはそのまま七草がゆになった。
 気づいてしまった以上報告しないといけない気がして、買ってきたスーパーに電話を
した。「ハハコグサがチチコグサになっていますよ」と。しかし担当者には、それが正
しいのかどうか分からない。「生産者に問い合わせる」ということで電話は切れた。
 しばらくしてかかってきた電話によると、我が家で食べた七草セットは四国のある県で作ら
れたものだった。
 ハハコグサを「チチコグサ」のように呼ぶ地方はたくさんある。例えば但馬でも、旧
美方町では「チチコ」だ。しかし、チチコグサを「ハハコグサ」と呼ぶ地方は知られて
いない。
 あれ以来、野菜売り場に行くと、七草セットが気になるお正月である。
(文と写真 コウノトリ市民研究所 菅村 定昌)
※2006/1/29(日)掲載


カワラハハコ

カワラハハコ キク科

 旧の赤崎橋があった頃、そこから丸石河原を眺めるのは楽しかった。季節を変えた写真がたくさん残っている。川が川らしい姿を見せる場所の一つだった。河原に降りるとそこには河原特有の様々な植物が生育し、その中にカワラハハコもあった。
 かつては多くの川にあったカワラハハコだが、兵庫県の太平洋側からは姿を消している。兵庫県ではもはや円山川水系にしか残っていないらしい。そんな中で、赤崎の丸石河原は、国土交通省の管轄内で最も見事な群落がある場所だった。このことは国土交通省にも伝えた。国土交通省にはすでに多自然型川作りの実績も多く、私はたとえ橋の付け替えがあってもここの群落は安泰であると信じていた。
 ところが、落とし穴があった。新赤崎橋は農道橋なので、農林水産省が関わる工事だったのだ。工事に際して生き物に対する配慮は全くないように見えた。丸石河原を重機が動き回って、微妙な地形の変化はなくなり、丸石河原の植物たちは壊滅した。さらに丸石河原の対岸に小規模な河畔林があったがこれもなくなった。
 私は赤崎の丸石河原にカワラハハコを再生させたいと思う。可能性はある。上流の養父市には見事な群落が残り、そこから下流にかけて点々と群落が残っており、種子の供給が期待できる。丸石河原が元に戻ればいいのだ。
 昨年の台風23号で川の環境はリセットされた。浅くなっていた淵は深く掘られ、石の河原はかつてない広さになった。私は赤崎の河原が元に戻っているに違いないと期待を込めて見に行った。まだカワラハハコが定住できるような微妙な起伏はできていなかったが、重機で踏み固められていた頃と違って、石が自然に転がっていた。少し人間が手助けしてやればきっとカワラハハコが再び花を咲かせるに違いないと思う。
追記
 掲載後すぐに養父市の方から電話があった。
 昔は広谷あたりでもたくさんあったのだが今では見かけないということだった。
 当時は「たかつか」という名前で呼んでおり、草餅に使ったのだそうだ。ヨモギよりもよほどよい草餅ができたと話されていた。
 ハハコグサを草餅に使うのは知っていたが、これは知らなかったのでうれしかった。『日本植物方言集成』八坂書房をみてみると新潟県で「かわらもちぐさ」というそのものズバリの名前があった。
 ちょっと気になったのは、この植物を押し花に使うそうで、市販されているというお話だった。上に書いたように、絶滅寸前の植物である。いろいろな工作は栽培したものを使って行ってほしいものだ。
 栽培は容易だと思う。円山川流域で栽培して、草餅を作ったり押し花を作ったりしても面白いと思う。


ヨメナ 変わらぬ暮らしを・・・・

ヨメナ キク科

 秋祭りで午前午後と村の中を二回りした。私の村はなかなか広い村で、それぞれ2~3時間かかった。朝は子どもだんじりのお供、午後は大人のだんじり。午後はひたすら重さに耐える戦いの時間だったが、午前は周りをゆっくりと見て回る余裕があった。
 だんじりの通る道の両端には路肩があり、その先に田んぼや畑がある。山際を通るところもある。このコースを子どもと一緒に歩くのはこれで9回目になる。だからどこに何が生えているかよく分かっている。歩くと「そうそう、ここにはこれがあったんだ。」と思い出す。年に一度の旧友との再会みたいなものである。
 ピンク、赤、白、黄色と色とりどりの花が現れる。律儀に毎年同じ花が咲くところもある。これはその植物がその場所に生き残っているからだが、それはその場所が毎年同じ管理を受けているからでもある。同じ頃に同じ仕方の草刈りがされているのだ。
 毎年変わらぬ花を見て「ああ、今年も咲いていたな」と安心する。同じ花が咲くのは、その土地を持つ人の暮らしも大きく変わっていないことを意味している。路肩や農地の野草は人の暮らしも想像させてくれる。
 道沿いに派手な花は少ない。しかし私は丁寧に世話をされた路肩に、自然に花を開く植物たちが好きだ。美しいとも思う。ところが、わざわざこんなところにコスモスを植える人もある。路肩の花々は、どこにでもある当たり前の花々である。きっと当たり前すぎてありがたみがないのだろう。
 ヨメナの仲間は路肩で見られる中で最も花らしい花だ。ヨメナの花は、真ん中が黄色で、周りにある白い花弁が青を帯びていて瑞々しい。ヨメナは多年草で、掘り下げると白い地下茎が伸びている。この地下茎でよく広がる。草刈りをするときに、気をつけてヨメナだけを残すと年々立派になる。こんな小さな気遣いで、ヨメナをはじめとする路肩の植物たちは花を盛んにつけ、人の目を楽しませてくれるようになる。ヨメナたちには、コスモスのように種をまいたりするなど特別な世話は必要ない。手間がかからず美しいヨメナたち、路肩の花はもっと大切にされてもいいと思う。
追記1
 ヨメナの花をまるで1個の花のように書いたが、本当はヨメナの花は、50個から100個くらいの小さな花が集まってできている。ヨメナのような花のかたまりを頭花という。
 周りにある花びら状のものを舌状花と呼び、中央にある黄色いものを筒状花とか管状花と呼ぶ。バラバラにして虫眼鏡で見るとどちらにもおしべやめしべがあって、それぞれが一つの花であることが納得できる。 
追記2
 ここではヨメナという特定の種類の名前を使ったが、ヨメナも含まれる野菊の仲間はたくさんの種類があって見分けることは難しい。記事のヨメナにはノコンギクやシロヨメナなどの他の野菊も含まれていると考えてもらってよい。


白い葉っていいな

ハンゲショウ ドクダミ科
 半夏生というのは夏至から11日目にあたる日で、ハンゲショウという名前は、
このころに花が咲き、葉が白くなるからだという説がある。また葉の半分が白
いので、半化粧だという説もある。

 ハンゲショウは本州、四国、九州、沖縄に生育する多年草で、水辺や湿地に
生え、1m前後になる。但馬では、各地に点々とあり、池や湿地には大規模な
群落が見られることがある。一方で川にはわずかしか生えていない。出石川、
竹野川、佐津川でも見たことがあるが、非常に狭い範囲にごく限られた数しか
生えていなかった。
 ハンゲショウは、6~8月に花を咲かせる。花期のハンゲショウはよく目立
つ。群落が大きいと本当によく目立つ。白い花かと思って近づくとそれは葉で
ある。しかも不思議なことに茎の上の方についている葉の先だけが白くなって
いる。
 ハンゲショウの花は、白い葉の中に咲いている。10~15cmのねずみのしっ
ぽ状に曲がった棒のようなものが花の集まり(花序)である。この花序に小さ
な花がたくさん咲く。小さな花には花びらもがくもなく、おしべとめしべがむ
き出しになっている。小さな花は花序の根本から咲き始めて先へ先へと咲いて
いくが、ちょうど開花している部分は水平になっている。これは、虫たちがタ
イミングよく止まれるようにわざわざ水平になっているのだそうだ。
 ハンゲショウも多くの花と同じように昆虫に花粉を運んでもらっている。花
の時期に合わせて白くお化粧した葉を見て昆虫たちがやって来る。あれ?花が
ないぞと探すと止まって下さいとばかりに水平になっているところがある。そ
この花だけがおしべもめしべも元気の活動していて、訪れた虫の体に花粉がつ
いたり、逆に虫の体から花粉がついたりするのだそうだ。
 花びらがなくて他の部分が白くなって虫を誘う植物は他にもある。マタタビ
がそうだし同じ科のドクダミもそうだ。マタタビは葉が、ドクダミは総苞が、
白くなる。ハンゲショウとマタタビは、どちらも虫を誘う必要がなくなると葉
白い葉っていいなは白から緑に戻って本来の仕事をするようになる。


コバンソウ

堤防にめぐり来る四季
 
コバンソウ イネ科
 私は円山川の堤防を通勤路にしている。堤防の自然の変化はなかなか劇的で、
運転しながらでも季節の変化はよく分かる。
 春先、堤防から河川敷にかけて一面が黄色に染まる。カラシナの開花だ。黄
色の一部に白が混じるのは、捨てられた大根が野生化したものだ。その黄色や
白が消える頃、堤防が赤く染まる。これはスイバだ。スイバの花の一つ一つは
小さく地味なものだが、花の数が多く、しかもその花をつける茎がにょきにょ
きと大量に立つので遠くからでも赤く見える。
 
 このスイバの花が盛りになり始める頃、コバンソウも花の準備を始める。時
間とともに数mmの丸い穂が卵形の2cmほどの穂に変わっていく。穂が育ち
きった頃には草丈も伸びて、通勤路の両側はコバンソウで埋まっていく。緑だ
ったコバンソウが黄金色になり、茶色くなり始めた頃には、チガヤが花を咲か
せ、ブタナの黄色が増えてくる。というようにコバンソウは、私に季節を知ら
せてくれる最も身近な植物の一つである。
 
 今でこそ最もありふれた野草になっているコバンソウだが、もともとは明治
時代に観賞用として入ってきている。印象的な姿形をしているからか今でも珍
重する人があるようで、HPで検索すると種子を売っているし、鉢植えされた
写真もある。ドライフラワーとしても利用するのだという。
 
 但馬にコバンソウが増えたのは最近である。コバンソウは道路の端に非常に
多く、堤防法面や荒れ地などにも多い。30年ほど前にはまだ稀で、海岸の砂
浜近くにいくらかある程度だった。それが今は、幹線道路沿いにどんどん分布
を広げているように見える。山の中の道端でも見たこともあり、どこまで広が
るのだろうと心配になる植物の一つである。
 
(文と写真:NPO法人コウノトリ市民研究所・菅村 定昌)
※2005/5/29掲載

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タンポポ調査

 タンポポ調査2005
 2005年4月10日
 タンポポ調査をいつ行うのがよいのか?
 これは毎度の悩みである。
 昨年は明らかに遅かった。これまでに見つけた在来タンポポの分布
地図を持って現地に向かったにもかかわらず半分も見つけることがで
きなかったのだ。
 ということで2005年の候補日は、4月10日と4月17日にな
った。17日がやや有力なところへ、円山川「菜の花の会」が、円山
川を襲った台風23号の大量のゴミを拾うというイベントを17日に
計画されていることが分かった。一人でも多くの方にそちらへ参加し
ていただくためにも17日には実施できない。それで10日に決定。
 しかし、どう見ても春の訪れが遅い。心配する中、4月3日に竹野
で但馬では最初のタンポポ調査が行われた。カンサイタンポポ、ヤマ
ザトタンポポ、クシバタンポポ、シロバナタンポポ、(見本としては
南但産のヤマザトタンポポ)が見られた。外来のタンポポは、まだ開
花している数が少ない。また、綿毛にまでなっていないのでセイヨウ
タンポポかアカミタンポポか全く分からない。それでも咲いていない
ということではない。と、一安心。さらに、在来タンポポの方が花期
が早いので、在来種を見つけるには好都合かもしれないとも思った。
 今年のタンポポ調査は、近畿圏で一斉に行われているタンポポ調査
近畿2005の様式で行うことにした。というのもタンポポ調査近畿
2005のための予備調査を見るとまだまだ調査されたメッシュ数が
少なくて、昨年のように日本タンポポだけを探して帰ってくるという
方式ではメッシュ数が稼げないのだ。
 集まったのは、大鍋スタッフを含めて20名弱。
 今年は、メッシュ数を稼ぐのを目的とすると宣言して、主要なタン
ポポの見分け方、花の処理の仕方などを説明。地図で大まかに担当区
域をそれぞれの車で出発した。調査隊は、5つ編成できた。

 タンポポをたくさん採るとあとの処理が大変である。
 昨年は、まじめに調査用紙をはさみで切って、封筒を作っていたが、
今年は、一番安い茶封筒を準備しておいて、現地で花をティッシュで
くるんで封筒に入れて帰ってきた。(ティッシュがないといって、わ
ざわざ調査前に購入された班もあったと聞く)
 コウノピアに帰って最初にすることは、頭花の入った封筒を調査用
紙にホッチギスで止めることである。昨年より作業が簡単になったと
はいえ、調査用紙にデータを書かないといけないので、なかなか大変
である。

 後始末に時間がかかり、すでにできあがっていた大鍋の方から、早
くおいでコールがかかる。煮込みすぎて味が落ちるのも困るし、まと
めの話のできないもの困るし、あわただしい最後だった。
 結果
 外来種37点 種名は不明
 在来種
  シロバナタンポポ 12点
  ヤマザトタンポポ 11点
  クシバタンポポ   1点
 合計 61点
 旧の豊岡市の周辺は結構メッシュが埋まったようだ。
 先日の竹野調査とあわせると調査ができていないのは、新豊岡市では
但東町だけになった。
 写真は、現地で調査する代表
     データ記入の様子
     ただ1点見つかったクシバタンポポ

     クシバタンポポの総ほう

     クシバタンポポの葉


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